【第九番】眠らない街を底から見守る弁天様

本誌で異彩を放つ連載「迷所巡礼」のウェブ版。新宿~四谷歴ウン十年のヴィヴィアン佐藤さんが、毎月その嗅覚をたよりに、エリア内の不思議な“迷所”の歴史をたどっていきます。今回は、タウン誌『JG』59号で紹介した歌舞伎町にある弁財天。本誌に載っていない内容も加え、弁天様と歌舞伎町のつながりにぐっと迫ります。今月も行ってみましょう。さあ、“迷所”へご案内。

 歌舞伎町のど真中の弁財天様。もともと歌舞伎町は、湿った大きな沼地の様なところだったみたい。また、長崎藩主大村藩の別荘があり鬱蒼とした「大村の森」とも呼ばれていたようね。この弁財天のあるところはかつての沼の一番底辺に当たる場所。江戸時代この場所には、峰島家のお屋敷があり、当時も弁財天が祀られていたわ。明治に入り新宿西口の淀橋浄水場を作るにあたり大量の残土が出てきて、それをこのあたりの沼を埋めるのに利用したそうね。

 現在のご本尊は大正二年、堂の改築再建に当たって上野の不忍池から勧請してきたもの。東京大空襲の際は、堂守の笹塚のアパートの一室へ一時期避難していたという数奇な運命を辿っているわ。

 新宿一体はその際、一面の焼け野原。最初から「歌舞伎町」という名前が付いていた訳ではなく、歌舞伎座をこの地に持って来て復興のシンボルにしようという計画があったみたいね。銀座の歌舞伎座もいいけれど、歌舞伎とはもともとは河原など湿地帯に住んでいた人々によって作られてきた芸能文化。当時既に銀座の歌舞伎にはその湿地帯の人々のスピリットは失われ、乾燥した高台のお金持ちの上品な芸術になってしまっていたわ。それでもう一度、歌舞伎を湿った土地へ呼び戻そうということになり、新宿歌舞伎座計画が出来た様ね。でも、建築基準が満たされず計画は頓挫。その町名だけが名残として残ったわ。
宗教学者・中沢新一さんの著書『アースダイバー』よると「いったん上品な乾いた芸能文化になってしまった歌舞伎関係者は、いまさら湿った沼地を埋め立てた場所へ戻りたくはなかったのでは?」という見方もあるわ。

 さて、話を弁財天に戻すと……弁財天は七福神の一つ。もともとヒンズー教河川神で、梵天の配偶神とも娘とも言われているわ。この河川神が仏教に取り入れられ、更に日本では神仏習合で民間習俗と混じり、水の神、農業の神として祀られる様になったみたい。だから現在も弁天様が湖や池、川など水に近いところに祀られるのね。また、音楽・芸術の才能や財宝を授けてくれる神様でもあるの。アート、金銭、水……歌舞伎町を表すキーワードは街の守護神のそのものだったのね。歌舞伎町のかつてあった沼の底から弁財天は歌舞伎町を見守っているわ。そして弁財天は女性の神様。デートで行くと嫉妬されてカップルは崩壊させられるとか。カップルでのお参りはご用心ね。

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