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【第十七番】太宗寺であの世⇔この世ツアー

本誌で異彩を放つ連載「迷所巡礼」のウェブ版。新宿~四谷歴ウン十年のヴィヴィアン佐藤さんが、毎月その嗅覚をたよりに、エリア内の不思議な“迷所”の歴史をたどっていきます。今回は、タウン誌『JG』72号で紹介した新宿二丁目の「太宗寺」。今月も行ってみましょう。さあ、“迷所”へご案内。

太宗寺は新宿御苑の内藤家の菩提寺、芝の増上寺の末寺の名刹。最近は新宿御苑といえば、お花見や紅葉の人気スポットとしても急上昇。散歩がてら恋人や家族と覗いてみるのも良いわね。

太宗寺には“あの世とこの世”に関連するものがたくさん境内にあるわ。

まずは、江戸時代の地蔵坊正元が江戸の五街道と千葉街道に大きな六体の地蔵を造ったのだけれども、そのうちのひとつである、かなり大きなお地蔵様「銅像地蔵菩薩坐像」が境内入口右側にあるわ。温容慈悲が溢れる表情が特徴ね。

次に、「閻魔堂」の堂内には恐ろしい形相の都内一巨大な「閻魔像」と、閻魔像よりももっと恐ろしい表情の「脱衣婆像」が鎮座しているわ。「閻魔殿」の額は、嘉永三年(1850年)、清の官僚の秋氏が寄進したもの。また、脱衣婆というのは、三途の川で渡し賃の六文銭を持たないで来た者の衣服を剥ぎ取る老婆のこと。怖いわね……。三途の川を渡るには三つの道があるそう。善人は「橋」、軽い罪人は「浅瀬」を、重い罪人は「流れの強い深い瀬」を渡ると言うわ。それぞれ「地獄道」、「餓鬼道」、「畜生道」とも言うみたい。

そして、近代的な造りの本堂の横には、このあたりから出土したと言われる「隠れ切支丹の灯籠」が安置されているわ。いわゆる灯籠の形ではなく十字架とマリア様に似せた像が彫られているのが分かるわ。

また、「閻魔堂」と対をなすのが「三日月不動堂」。額の上に三日月を掲げ、空を飛ぶ鳥までも救済するというお不動さんがいるわ。高尾山の薬王院に奉納するため甲州街道を運搬中、この太宗寺の前で全く動かなくなったのでここに安置したとか。

「三日月不動像」の手前には、小さな「布袋尊像」。新宿山の手七福神のうちのひとつよ。

さらに、「三日月不動堂」の隣りの社には「塩かけ地蔵」も。お願いをする際に塩を頂いて、願いが叶ったときには倍返しするそうよ。塩にまみれたお地蔵さん、なんだか痛々しいわね……。そして、その隣りの社には小さなお稲荷さんもいるわ。

その昔、内藤新宿にはたくさんの飯盛り女(娼妓)がいて、浮き世の廓文化や色恋沙汰、病気で亡くなった女たちの死体が三千体余りも山積みにされていたときもあったそう。その死んだ女たちの着物を剥ぎ、髪飾りや身につけている装飾品もすべて取り上げ、ほとんど木綿にお腰一枚で、米俵に包んで寺に投げ込まれたという話も……。

このあたりは、浮き世であるこの世とあの世が共存していたとても重い場所だったのよね。

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