
【四谷三丁目】平和への祈りを静かに写す──宮角孝雄さん写真展「GROUND ZERO HIROSHIMA Love and Peace」
負の遺産である原爆ドーム。その前で目を閉じて静かに祈る人々の姿を写し、平和への思いを伝え続けている写真家、宮角孝雄さん。長年コマーシャルフォトを手がける一方、2000年から原爆ドームを訪れた人々のポートレート撮影をライフワークとして続けてきました。
そんな作者の写真展「GROUND ZERO HIROSHIMA Love and Peace」が、四谷三丁目の写真ギャラリー「Gallery 463」で開催されています。
今回はこの写真展を紹介するとともに、新宿にもゆかりのある宮角孝雄さんにお話を伺い、この写真展に込めた思いや、撮影の背景などについてじっくりとお話を伺いました。
Contents
原爆ドームの前で続けてきた、25年の対話
──広島県庄原市(しょうばらし)ご出身の宮角さん。ご家族が被爆され、またご自身は被爆二世として、その記憶と向き合ってきたといいます。まずは、宮角さんがこの写真展に込めた思いや、長年の活動に対するテーマなどについてお話を伺いました。

宮角さん:私は被爆二世なんですね。父と祖父が広島市で被爆しており、その背景もあって、広島や長崎はずいぶん前から撮影をしてきました。
原爆ドームを背景に人物を撮り始めたのは、2000年からです。なので、このフォーマットで人を撮り続けて、今年で25年になるんですね。仕事では人物を撮ることが多かったので、「人物写真を通して広島を表現できないか」と考え、この形にたどり着きました。また、今年は戦後80年という節目の年であり、ちょうどいいタイミングだと思い、2冊目となる写真集も出版しました。
これまでも多くの先輩カメラマンが、広島を撮影して作品にされています。被爆した人々や建物を写し、「こんなにもひどかったのか」という印象を与える写真です。ただ、そうした作品はすでに数多く世に出ていて、ある意味では、出尽くしているとも感じていました。
私は、被爆者の方も撮影させていただきますが、ケロイドや被害の大きさをこれでもかと強調したり、「日本は被害者だ」という感情や、そこから生まれる怒りや対立を前面に出した写真は、ちょっと自分には撮れないということもあるんですけど……。それよりももっと先の未来を見据えて、人間が本当に戦争をせず、仲良く生きていくためのきっかけになるような表現ができないかと。そんな思いをからめて撮れたらいいな、ということで、 原爆ドームの前で目を閉じて「平和を考えてください」と伝えて撮らせていただいています。
あと、日本人は少し抵抗を感じる人が多いですが、カップルの方々に「キスをしてください」と、これは「愛」の表現としてお願いしています。 今回の写真集には、そうしたキスのポートレートも35組ほど収めました。
目を閉じて祈り、愛を示す人々の姿を通して、平和について考えるとっかかりになればと、そんな思いを込めて撮影を続けていますね。
原爆ドームの前で出会った人々の物語
──これまでに複数の国でも写真展を開催され、国外での作品の受賞歴もお持ちの宮角さん。国内にとどまらず、海外にも活動の場を広げてこられた結果、その反応には大きな手応えも感じたと話します。

宮角さん:戦争のない時代がこれから先にある、という前提としたときにですね、自分には何ができるのか。私は昔から写真で生きてきましたし、写真で何かを表現したいという思いがありましたから、「平和」と「愛」をテーマに、あえて負の遺産である原爆ドームの前で撮影を続けてきました。この試みは海外でもいろいろなところでチャレンジしているのですが、中でもフランス・ストラスブールでは、この「GROUND ZERO」シリーズの写真展も開催しました。ストラスブールは地理的にもロシアや中東と陸続きの場所です。また歴史的にも、ドイツ領になったりフランスになったり、国境が何度も変わってきた土地でもあります。そうした背景を持つからこそ、作品が持つ意味が強く伝わった感触はありました。
「怖い」や「考えさせられた」という具体的な感想もたくさんいただきましたね。
──宮角さんは、原爆ドームを訪れた人々に声をかけ、一人ひとりとコミュニケーションを重ねながら撮影を行っています。また、妻の智子さんも、モデルとなった方々に撮影許可をもらうと同時に原爆についてのアンケートを実施するなど、対話を大切にしながら活動を支えてきました。
そうした交流の中で、これまで数多くの出会いや印象的な瞬間が生まれてきたといいます。中でも特に心に残っているエピソードを次のように話していただきました。
宮角さん:一番印象に残っているのは、一冊目の写真集「GROUND ZERO -希望の神話-」の表紙になっているこの二人ですね。この方たちは“ピースライド”という活動をしていた人たちで、それは世界47カ国を自転車で巡りながら、平和を訴えるというプロジェクトでした。12人のメンバーで、アメリカのシアトルを出発して世界を周り、2000年1月1日、最後に広島に辿り着いたということでした。その旅の途中で、ニューヨーク市長だったり、中国の文化庁関係者だったり、南米の大統領だったり、そうした各国の要人たちのサインとメッセージが書かれた布を、確か30メートルくらいの長さでしたかね。原爆ドームに巡らせて、平和をアピールするというプロジェクトでした。

ピースライドが始まった背景には、当時のヨーロッパ情勢も深く関わっていました。当時は、旧ユーゴスラビアが解体されて、民族ごとに国が分かれ、内戦が起きていた時代でした。すごく悲惨な紛争があって、それを鎮めたいという思いから、クロアチアの大学教授が中心となって、このピースライドが始まったそうです。
メンバーは、イタリア、フランス、アメリカ、ドイツ、ブラジルなど、さまざまな国から集まって、最終的に彼らが広島に到着するその瞬間に、偶然立ち会うことができたんです。
当時私は1999年の12月31日の昼頃から、ずっと原爆ドームの前で撮影をしていて、彼らが到着したのは夜が明ける頃だったと思います。薄暗い中、自転車に乗った彼らが、日本のサポーターの人たちと一緒に、総勢20人くらいでやって来たんですね。その中にいたのが、写真集の表紙となったイタリア人の二人でした。旅の途中で仲良くなって、広島に着いたそのタイミングで、プロポーズをしたらしいんですよ。すごいタイミングに立ち会って撮らせてもらったのがこの写真なんです。

また、最近で特に印象に残っているのは、ノルウェー人の親子3人が広島を訪れたときのことです。お母さんと息子さんが2人で、撮影は去年のことでした。
高校生の下の息子さんは、将来的に徴兵に行きたいと言っていたんですね。でもお母さんとしては、行かせたくない。そこで広島に来て、資料館を見たり、原爆について伝えたりしながら、戦争の現実を見てほしいという思いがあったようですね。
ノルウェーは地理的にロシアに近いというのもあって、いつ戦争に巻き込まれてもおかしくない状況にあるので、お母さんは、そのことが怖いと話していました。一方、息子さんは「国や家族を守る」とか「正義感」といった言葉に惹かれ、どこか戦争をかっこいいものとして捉えている部分もあったようです。なんか、お母さんの息子さんに対する愛と、息子さんの家族に対する愛がすれ違ってしまっているといいますかね。
私は、一歩引いて、「やっぱり戦争はすべきではない」という思いがあります。今回の親子を見ていても、まだまだ戦争を客観的に見られていないのかな、というふうにはすごく感じましたね。
智子さん:被写体となっていただいた方には、撮影許可とともにアンケートもお願いするのですが、結構長い文章で意見を伝えてくださる方もいれば、白紙で出される方もいらっしゃるんですね。ただ、この場所には意思を持って訪れる方々がほとんどですので、原爆や原子力発電、平和について意見を伺うことはとても大切だと感じますね。

撮り続ける覚悟──写真に込める平和への想い
──戦争に対する気持ちは、悲しみや怒り、痛ましさなど、誰もが多くの場合マイナスの感情を伴うものだと思います。宮角さんも、長年にわたる撮影で人々と向き合う中で、ときには辛さや苦しさを感じることもあると語ります。
宮角さん:撮り始めた初期の頃は、毎日ドームの前でポートレートを撮っていましたが、まず断られることが多かったんですね。仕事でファッションフォトをやっていましたので、街中のスナップ撮影などには慣れていましたが、この撮影は全く別でした。暑い夏の日に撮影をして、この作品が良いのか悪いのかも分からず、またそれをテーマにした写真については自分自身の実績もほとんどない状況でしたから。「なんで自分はこれを撮っているんだろう」と、正直、泣きたくなることも多かったです。
今でも撮影を続けながら、「この写真で何が伝えられるのだろう」と考えることがあります。でも、家族も親戚も被爆して苦しい経験をしてきたんだから、「自分が撮らなくてはならない」という思い、そしてどうにかその写真で、「その経験に対する表現をしなくてはいけない」というのをですね、やっぱり自分に言い聞かせて撮っているという感じですね。自分を奮い立たせて撮っています。」

──また被写体となった方々からの反応については、次のように話します。
宮角さん:個人情報をいただいた方には写真をお渡ししているのですが、「写してもらってありがとうございます」と言ってくれる方が多いですね。特に平和活動をしている方なら、「これをみんなに見せて、自分の活動に使わせてもらいます」という反応もあります。プリントをお送りすると喜んでくださりますし、「プロフィール写真などにも使わせて欲しい」などと言ってくれる方もいます。そういう声をいただくと嬉しいですね。
熱量を込めた写真集「GROUND ZERO HIROSHIMA LOVE AND PEACE」刊行
──今年は戦後80年、そして宮角さんのこの活動から25年という節目の年にあたり、写真集『GROUND ZERO HIROSHIMA LOVE AND PEACE』も発刊されました。東京と広島を行き来しながら制作に尽力された中で、改めてこの写真集に込めた思いについても伺いました。
宮角さん:そうですね、(奥様の方を見られて)ちょっと、話してみて(笑)
智子さん:はい(笑)。そうですね、一冊目と違って、今回は目を閉じている方々のポートレートに絞りました。タイトルにも「祈る」とつけているのですが、「平和に対する祈り」が多くの方に届くといいなと、本当にそういうストレートな思いを込めました。

──この「祈り」の表現──目を閉じて祈る姿というのは、一人のフランス人男性との出会いがきっかけだったと宮角さんは話します。
宮角さん:撮影を始めてから3、4年目くらいのことです。一人のフランス人男性を撮影したのですが、「目を閉じた写真も撮って欲しい」と言うんですよ。この方は、造形作品を手がけるフランス人のアーティストでしたね。すごく自信持っていて、「ぜひ撮って欲しい」と積極的な方でした。目を開けて普通に撮った写真や角度を変えたりなど様々撮ったのですが、現像してみたら目を瞑った写真がすごく良かったんです。
実は仕事でも、化粧品の広告写真を数点撮って、その中に1枚だけ目を閉じた写真も入れたら、クライアントに選んでもらったことがあるんですよ。とても感動的だと褒めてもらったんです。でも普通は、「目がものを言う」と表現するくらいですからね。
ただ、彼にそう言われて「目を閉じてもらうことで、平和について考えてもらえるのではないか」と突然ひらめいた。目を閉じた姿が、「何かを言わんや」としている感じがいいなと思ったんです。結局私は彼からそのアイディアを頂いちゃった、という感じですね(笑)

──ここまで様々なお話を聞き、作品や撮影の裏話などもお伺いすることができました。最後にこの記事を見てくださっている方や、写真展に足を運んでくださる方に向けて、宮角さんご自身から改めて伝えたいメッセージをいただきました。
宮角さん:一つには、やっぱりこの街ですね。四谷三丁目という場所。新宿の中でも、昔から通っている行きつけのお店がたくさんあって、お隣の「我楽多屋」さんにもずっと前から足を運んでいます。そういう、自分にとって馴染みのある場所で写真展ができるというのは、すごく幸せなことだなと感じています。
ここに来ていただいて、写真を見ながら一緒に話ができたら嬉しいですし、ぜひ、気軽に見に来ていただけたらと思います。今回は、できるだけ私も会場に足を運びたいと思っていますので、もし「宮角に会いたい」と言ってくださる方がいればできる限り駆けつけます。ぜひ、みなさんと直接お会いできればとても嬉しいです。

【作家プロフィール】
宮角 孝雄(みやかく たかお)
広島県庄原市生まれ
ファッションカメラマン吉田大朋氏に師事し、雑誌やコマーシャルフォト
を手がける
石井竜也氏プロデュースの「グラウンドエンジェル」に写真で参加
ジャズギタリスト、ジョー・パス氏の写真集出版
前衛画家、草間彌生氏の作品撮影 など
2026年8月に、広島県の三良坂平和美術館にて展示予定
新宿区在住で、四谷三丁目やゴールデン街などには昔から通う行きつけのお店も多い
「新宿のお気に入りの場所は多すぎて、どうしても一つには絞れないですね。」
公式ホームページ:宮角孝雄
インスタグラム:宮角 孝雄 (@takao.miyakaku) • Instagram photos and videos
【写真展情報】

宮角孝雄 写真展『GROUND ZERO HIROSHIMA Love and Peace』
・会期:2025年12月19日(金)〜12月28日(日)
・会場:Gallery 463
・住所:東京都新宿区荒木町8 木村ビル2F
・開館時間:12:00 〜19:00(日曜は〜17:00まで) ※水曜休み
・Gallery463展示情報
インスタグラム:https://www.instagram.com/gallery_463/
我楽多屋HP:https://camera-kaukau.lekumo.biz/arrow/






