【第十二番】饅頭谷の怪談、妖怪、トーテムポール   

本誌で異彩を放つ連載「迷所巡礼」のウェブ版。新宿~四谷歴ウン十年のヴィヴィアン佐藤さんが、毎月その嗅覚をたよりに、エリア内の不思議な“迷所”の歴史をたどっていきます。今回は、タウン誌『JG』68号で紹介した小泉八雲のお話。彼のお気に入りスポットだった自証院。この辺りは、名著『怪談』とは切っても切り離せないようで……。今月も行ってみましょう。さあ、“迷所”へご案内。

怪奇小説『怪談』、『骨董』で有名なラフカディオ・ハーンは、ギリシア生まれのイギリス人。松江や熊本での生活を経て、東京帝国大学や早稲田大学の講師を歴任。46歳で帰化して小泉八雲と改名したわ。彼の東京初の居を構えた場所が、ここ成女学園の正門の横。大久保一丁目の現在大久保小学校の横の終焉の地に移るまで、5年間住んでいたわ。

現在の富久町にある成女学園の裏手には、彼が散歩コースとして愛していた自証院があるの。堂塔の用材として節目の多い桜が使用されていて、「節寺」とか「瘤寺(こぶてら)」とも呼ばれていた。境内の杉の木を切り倒す音を聞いた八雲は、いたたまれなくなって引っ越したというエピソードも。彼の葬儀もこのお寺で行われたみたいね。境内には、サンスクリット語で書かれた鎌倉時代の板碑が残っていて、この辺りに有力な武将が住んでいたことを裏付けているわ。

また、この辺りは変わった名前の坂が幾つかあって、医大通りに向う坂は、平安時代の武将渡辺綱が妖怪の土蜘蛛を退治した伝説から「蜘蛛切坂」もしくは「禿坂(禿とはカッパのこと)」と言われていたみたい。いずれにせよ江戸名所図絵に描かれた自証院の境内は相当広く、妖怪が出そうな鬱蒼とした森が広がっていたわ。八雲は、松江時代から節子夫人から様々な妖怪の話しを聞かされ、さらに当時の富久町でもそのイメージが膨れ上がり、名著『怪談』を著したのかもしれないわね。

そういえば、靖国通りを挟んで、何故かトーテムポールが立っている通称「トーテムポール公園」を少し入ったところには、三島由紀夫の誕生の地もあるわ。自伝的小説『仮面の告白』では、「二階建てで坂の下から見ると三階建て」「暗い部屋がたくさんあり女中が6人いた」と書かれているわ。実の母から離されて育てられたことが、心に暗い影を落としているのかもしれないわね。この辺りは、昔は饅頭谷と言われていたの。たくさんの谷が交錯した複雑な地形が、今も残っているわよ。そんな地形のためか、この辺りから三島のように複雑な人物がたくさん輩出されたのかもしれないわね。

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