【第七番】全勝寺にかつて存在した、謎多き「書籍姫の墓」

本誌で異彩を放つ連載「迷所巡礼」のウェブ版。新宿~四谷歴ウン十年のヴィヴィアン佐藤さんが、毎月その嗅覚をたよりに、エリア内の不思議な“迷所”の歴史をたどっていきます。今回は、四谷三丁目の消防博物館の裏あたりにある、全勝寺へ。この境内にかつて存在したという「書籍姫の墓」の謎とは……? 読書好きの女学生のような装いのヴィヴィアンさんと一緒に、今月も行ってみましょう。さあ、“迷所”へご案内。

四谷三丁目の消防署の裏に全勝寺という古刹があるの。荒木町の「杉大門通り」は、いまでこそ飲屋街として有名だけれど、かつては、この全勝寺に向って杉が立ち並ぶ門前町だったのよ。

さて、この全勝寺には不思議な姫のお墓の話が残っているわ。

以前、このコラムで紹介した天龍寺の追出しの鐘と櫓時計を寄進した茨城県笠間の城主牧野備後の守成貞。彼の長女の常子のお墓――通称「書籍姫のお墓」が、関東大震災までこの境内にあったのよ。

「書籍姫のお墓」ってすごい通称でしょう? どうしてそう呼ばれていたかというと、常子は生前読書が大好きだったため、その墓石に耳を当てると、読書をする声が聞こえてきたから……。
墓前には小さなお堂があり、その三方は本棚になっていて、教書や仏書がたくさん並べてあって、住職に頼めば自由に貸してもらえたそうよ。
でも、返すときにはどんな本でも良いから一冊添えて返す約束になっていたみたい。もし返しそびれたりすると……、お姫様が枕元に毎晩催促しに来たというの……怖いわね!

この話はちょっとロマンティックホラー風味だけれども、実は牧野成貞には三人の娘がいて、長女は松子、次女は安、三女は亀。不思議なことに、家系図には常子というお姫様の名前は存在しないのよ。

明治の歴史研究家で、「江戸学」の祖と呼ばれる三田村鳶魚の『牧野備後の守の献妻』というエッセイを参考にすると、この頃の将軍は悪名高い徳川綱吉、ほら、鳥類哀れみ令の将軍ね。
綱吉は牧野成貞の美人妻の阿久里(あぐり)を強引にお奥へ召し出し、力づくで犯したという。万が一そのことに成貞が抗議でもすれば、牧野家は幕府によっていとも簡単に潰されてしまうワケだから、成貞は泣く泣く妻を綱吉に献上し、その代わり牧野家は二千石から七万三千石の大名に成り上がったとか……。

諸説あるけれど、既に牧野成時と婚姻していた成貞の次女の安に対しても、綱吉は母親の阿久理と同様に大奥に召し上げたとも。
大奥へ自分の妻の安が赴いた夜に、成時は切腹したのよ……。
そうやって考えてみると、牧野家は綱吉ひとりによって翻弄された、実に悲惨な家系と言えるワケ。これらのエピソードは、何度もドラマや映画にもなってきたわよね。

三田村鳶魚がこのエッセイを書いた明治の頃、この供蔵の跡には小石柱があり、それに様々なヒントが書かれていたみたい。この「書籍姫」は成貞の妻の阿久理という説や長女の松子という説があるのよ。

ただ、書籍姫には姉君がいて、その姉の墓は天龍寺にあるとのこと。姉がいるのだったら長女の松子は該当しないし、母親の阿久理の墓は本所の弥勒寺にある、だから阿久理の姉のお墓も弥勒寺にある可能性が高いってことなの。阿久理が書籍姫だったことも辻褄が合わなくなるわよね。

じゃあ、もし阿久理がお奥へ赴いてから綱吉との間に子供がいたら……とも思うけれど、綱吉は阿久理に懐妊を禁止したワケだし、そうなると書籍姫常子とは一体誰だったのかしら……? 余りにも悲惨な牧野家の悲しみが、書籍姫という架空の人物を生んでしまったのかも知れないわね……。

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