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【中原昌也JGweb連載】新宿~四谷で一時間考えたこと(2)

本誌連載「御苑人」出演をきっかけに、JG編集部のお手伝いをしていただくことになった、小説家・音楽家・映画評論家・イラストレーターの中原昌也さんが、のらりくらりと「一時間を新宿~四谷のどこかで過ごす」を実践!

 

 梅雨入りしたのかどうかは知らないが、気圧のせいか、毎日がとても怠い。体調もとても優れない。お腹の調子も悪い。くつろげる場所など、どこにもないので、すぐに公園に行きたくなる。
 再び花園公園を訪れてみたが、ベンチはまた雨で濡れており、座ろうという気にはなれなかった。しかし、どこの部屋にいるよりも、外気に触れているほうがまだマシ。

 

 立ちっぱなしという状態には、意外に自分は耐性があるなと、昨夜に立ち飲み屋で数時間過ごしたことで実証したばかりだが、やはり公園に来て立ちっぱなしは、そこによほど美しい庭園でもない限り苦痛だ。ただずっとボケッと公園で立ったままという行為自体、一部始終を傍観している人にとってみれば、かなり異様だと言わざるを得ない。よくよく考えてみれば、一時間も公園で立ちっぱなしの自分の存在なんかに気がついて、その様子を一時間監視するような暇な人間などそうそういないのが、現実であろう。

 

 ほんの一時間、新宿か四谷のどこかに留まって過ごせばよいのに、そんな簡単なことが、いまだにできないでいる。何故なんだろうか……。

 

 そもそも暇を潰すのが苦手な人間である。暇とは言ってみたが、よくよく考えてみれば現実的には何らかの「いますぐやらねばならないこと」を常に抱えており、実際には「いますぐやらねばならないこと」など何もなくても、潜在的に「いますぐやらねばならないこと」によって精神的に圧迫されていて、「いますぐやらねばならないこと」をやらねばというオブセッションに取り憑かれており、どんな状況にあってもリラックスなど決してできない性分になってしまっているのである。これは病みたいなものである。
 それを無理矢理、暇つぶしなどと称して――そうはいうものの、根は怠け者なので、無意識の内にダラダラ何もせず思考停止のまま、無駄に時間を過ごしてはいるのも確かだ。
 だが、所詮自分で「思考停止している」と認識するのは、実は後から考えて「あの時は思考停止していたのではないか……」と思ってしまうだけで、実際のところは思考停止などしておらず、様々な事象を鋭く深く捉えているのだが、それがまったく結合されてひとつの見解として記憶されていないだけなのかもしれない。

 

 水道に穴が空いて無駄に漏れて地面に染み込むように、思考も取り留めもなくダラダラと脳に浮かんでは消えていく。公園に赴き、流れ出る思考を汲み取って、メモなり原稿なりに書き留める……。それは結局思考停止と同じような、まるで体を成さない意識の流れに過ぎないのだろうか。
 そういった実験から、何か有益なものを得ることは可能であろうか? そして、果たしてそういった実験に、自分は本気で興味はあるのだろうか? 様々な疑問が、脳裏に現れては消え、現れては消え……。

 

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【続く……】

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