レジェンドたちのターニングポイント Presented by ケンズカフェ東京【vol.5】カンニング竹山さん

本誌の連載『レジェンドたちのターニングポイント』の拡大版。“ガトーショコラの最高峰”『特撰ガトーショコラ』を生み出した「ケンズカフェ東京」提供のもと、第一線で活躍するレジェンドたちに、その道を極めるようになったきっかけなどをインタビュー。第5回目は、お笑い芸人のカンニング竹山さん。

――ブレイクのきっかけとなった出来事。

20代は俺も相方の中島も借金だらけで、遊びの金ですけど、めちゃくちゃな生活をしていて。芸人だからそれくらいいいだろうと思っていた。金借りてパチンコ行って、そのまま大盤振る舞いで使うとか。本業のネタ作りとかもサボっていた時期があって。借りちゃいけないところからも借りたりして。それがいよいよ首が回らなくなったのが28歳。

ちょうどその時期、素行不良じゃないですけど売れる感じもなくサンミュージックからも解雇寸前になったところで、いまは役員のブッチャーブラザーズのリッキーさんが「ちょっと待て」って言ってくれて。「リッキーさん預かり」ってわけのわからないポジションになって首の皮一枚つながった(笑)。

そこから、まずは借金を解決しようと考えたいたところ、当時付き合っていたいまの妻に距離を置きたいと言われたり、中島も結婚を考え始めたり、3つ4つが一変に重なって動かざるを得ないというか。どうにかやらないとまずいなって。同級生のマネージャーも未経験で入ってきたばかりで、3人で「もう1回勝負かけよう。1年間やってみて何も爪痕残せずにいまと同じ状況だったら辞めよう」って決めました。

――背水の陣ですね……。当時は芸歴何年目ですか?

芸歴8年目とか。俺は福岡時代ふくめると10年くらい経っている。それでも、そんなに簡単に何事もうまくいかなくて。そんなときに借金取りがくるんですよ。来るのは慣れていたけどなかなかこちらがお金を出さないから実家に電話しろってことになる。それで逃げなきゃと思って、その日は事務所の主催ライブがあって、行かなきゃ怒られるし、窓から逃げて家を2軒飛び越えて道路に出て、会場へ。新宿ビブランシアターだったかな。

――ドラマみたいなシーンですね(笑)。

ほんと昔のドラマみたいですよ。それでビブランシアターに行って、ちょっと気持ち遅刻で。相方に「どうした?」って言われて、説明しながら「辞めなきゃしょうがねえな、もう終わりだ! 今日は好きなことだけやるからお前はもう横で見とけ!」ってヤケクソになって。あいつもどっちみちあんな性格だし切羽詰まっていたから、「なんやそれいいな」とか言いながら舞台に出た(笑)。

そのとき、舞台でめちゃくちゃブチ切れたんですよ。ウケるとか関係なく。腹立っていることを言ったり、お客さんに文句言ったり、「立てお前!」とか、女子高生泣かしたりとか。いま考えたら失礼な話ですけど。電話番号やバイト先言ったり、当時はタブーだった。ガンガン言い出してお客が笑わなくて恐怖で怯えているけど、舞台袖はどっかんどっかん受けていましたね。

そしたら舞台を見ていたリッキーさんが、「いけるぞ、見えたわ。切れるんや! お前らは」って言ってくれて。その日にいまの芸風が生まれました。ビブランシアターの地下で。

――キレ芸が生まれた瞬間ですね。

後日、リッキーさんに何が「いける」のか聞いたら理論的に説明してくれて。それを整理して、中島とリッキーさんと3人でブラッシュアップしていったら1年後くらいからお客にもウケ出した。

――切れ具合によってウケも変わってきますか?

まさにそう。どの言葉で切れるかとか。誰に対して怒っているのかとか。ブラッシュアップしていく1年間、後半はライブでめちゃくちゃウケているのに、人気投票で票が入らないとかもありましたね。やっていることが間違っているのか、いいのかわからなくて、悔しい夜もありました。

それでもライブでだんだん優勝するようになってきて。そこから中野ケーブルテレビにも映し出されるんですけど、テレビでは使えない言葉や誹謗中傷ばかり言っていたからオンエアでは「ピー」ばかりで、逆に、「この若手はなんだ?」って、気になる人が増えて中野の劇場に行列ができたり。そのあたりから目まぐるしく状況が変わってきましたね。

――テレビでキレ芸を見たときは衝撃的でした。

テレビは、テレ朝の深夜のネタ番組のオーディションでプロデューサーにネタを見せたら、ゲラゲラ笑っているけど、「俺が面白いだけで世間は面白く思わねえよ、不合格です!」って言われて、「何でですかー!」というやりとりがあったあとにオンエアに呼ばれて。実は、その頃からカンニングがテレビに出るためにはどういう感じでテレビに出ればいいか考えてくれていたみたいで。

衣装も、ハンチング帽被ってたら本番直前にものすごくブチ切れられた。「お前らがきれいな洋服着ている姿、誰が見てえんだよ!」って。あと、お前らがどう見られているか、何で人気が出そうになっているのか。何でテレビでこれは言っていいけどこれは言っちゃいけないのか。ここまではギリギリ言っていいけど、責任がかかってくるぞとか。テレビでネタをやることについて大分教えてもらいました。

ライブの根底はリッキーさん、テレビで食えるようにしてくれたのはこのときのプロデューサーですね。

――ライブでの高評価、テレビへの露出、それぞれにキーマンがいたのですね。

ポイントポイントにいましたね。俺たちは売れると思っていないから、一個一個が突撃隊。ぶつかるだけぶつかって問題おこして帰れって言われれば帰ればいいよって。計算じゃない上での面白さが画面に出ていたと思う。いまはおじさんになって守りに入っている。当時は、実績がなくて若いからやれたのかも。テレビで食えなくても、漫才できればどっかで食えるだろと思っていた。

――普段からよく切れていた?

実は普段は切れない。キレ芸の根本は、中島とかといろいろ話し合ったときに、そもそも俺たちが面白いと思っていることをやらなきゃしょうがないじゃんと思って、その面白いことは何かって考えたときに、夜の電車とかで「なんだこらー!」って酔っ払っているのかよくわからない人、駅で喧嘩している人だった。そういう出来事があると一目散に見に行ってたんですよ。「なんかメガネかけているおっさんが不条理にブチ切れるんだよ、俺たちが好きだからやろうよ。これが面白いと思っているからやってみようよ、お互いが笑えるんじゃない?」って。

――さまざまな壁を乗り越えてきた竹山さん、芸人としての心得を教えてください。

ここ2、3カ月、改めて考えたことがあって。いろいろなこと間違った方向にいっていたかもしれないなって。何かというと、全部ふざけりゃいいんだと。大人になるにつれて社会的立場も変わってくるから、「真面目にやろうってシフトを自分で入れていないかい?」って自問自答していて。そもそも俺は真面目じゃないし、仕事自体が芸能は真面目じゃない。それを気取ってもしょうがないと。俺らが唯一ある武器としたら面白くふざけて見せることが出来るという、普通の社会人ではできないこと。

パンツ一丁で走ることは社会人としてはダメじゃないですか。でもこの仕事をしていたら怒られるし許されるまでいかないけれど、「馬鹿だなあいつ」とか、「あんなふうになっちゃだめよ」って親が言うとか、そういうことができる仕事だな、そこを忘れちゃいけないなって。何のためにこの世界に入ったのか。何真面目にやろうとしてんだって、気付いた。カッコいい言葉で言うと「笑いに変える」ですけど、ハードル高い言葉だから、ふざけりゃいいんだって。そっちの方がいい。

――自問自答の末、「ふざけりゃいい」というシンプルな答えに。

ちょっと疲れたのもあるかもしれないですよね。ワイドショーとかの仕事もやりだしたから。それの答えが見えてきたというか。ドラマとか芝居やりだしたときも、知らない世界にミーハー気分で入って、意外と学ぶことが多かったから。一流の俳優たちの芝居をお金を払わずタダで現場で見られるから面白かったですよ。こんな表情をしたらこんなことになるのか、俺もやってみようとか学びが面白かった。

その次にこっちもやってみようかなと思ったのが生放送の情報番組。それなりに勉強しないといけない。もともと、ラジオのニュースとかもやってたから勉強したりモノを知ることが楽しかったし、発言したりしていろんな情報を得ることも楽しかった。でも、何年かすると自問自答していて。この番組ってどうやったら面白くなるんだろう、この番組は限界があるな、ここに面白さいらねえなっていろいろわかってきたこともあって。そう思ったときに、「ふざける仕事しているのに何しているんだろう俺、なに真面目に語ろうとしているんだろう」って、ちょっとありますね。ふざけりゃいいって。

■カンニング竹山
1971年福岡県生まれ。’92年に同級生の故・中島忠幸とお笑いコンビ「カンニング」を結成。“キレ芸”でブレイクし、その後は役者としても活躍。現在は、テレビ、ラジオ、WEBの情報・バラエティ番組などレギュラー多数。

■Information
カンニング竹山のオンライン限定番組
TAKEFLIX(タケフリックス)』(旧名:竹山報道局)
※「竹山報道局」に入会すると視聴できます。
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ケンズカフェ東京
https://kenscafe.jp/

(撮影:蔦野裕)

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