【第六番】ガマ蛙たちの魂が眠る場所~四谷四丁目の笹寺長善寺~
本誌で異彩を放つ連載「迷所巡礼」のウェブ版。新宿~四谷歴ウン十年のヴィヴィアン佐藤さんが、毎月その嗅覚をたよりに、エリア内の不思議な“迷所”の歴史をたどっていきます。今回は、境内のめのう観音が有名な笹寺へ――。ヴィヴィアンさんが目をつけたのは、十数万匹のガマ蛙たちの魂が眠る蟇塚。蛙をイメージした装いのヴィヴィアンさんと一緒に、今月も行ってみましょう。さあ、“迷所”へご案内。
今回の迷所は両国の回向院よりも更にむかしから“勧進相撲”が行われていたという、四谷三丁目駅近くにある通称笹寺こと長善寺。
四谷にある多くの寺院が寛永年間に創設移転されてきたのに対し、この長善寺は天正3年(1575年)の甲斐の国の武田氏の臣高坂弾正の草庵が起源(ちなみに、高坂弾正は妻や子ども居たけれど、武田信玄と出来ていたという噂もある美童の武将♥)。お寺の名前は二代将軍秀忠もしくは三代将軍家光が、鷹狩りの際に寄って笹が茂っていたからという由来によるとか。
この寺の境内にあるめのう観音は有名。赤めのうで彫られた、像高四・九センチの珍しい観世音菩薩像で、秀忠の念持仏なの。
でもね、もっと気になるのが、蟇塚(がまづか)。
この蟇塚は、慶応大学医学部生理学教室で実験用に使われた、蛙たちを供養するために建てられたもの。
慶応大学医学部生理学教室では、長年ガマ蛙を使って、座骨神経の実験をしていたという。数にして十数万匹。
そんなガマ蛙たちの供養塔が、瀬戸物の蛙の像とともに、この笹寺内に安置されているの。
蛙の詩で有名な詩人・草野心平。
彼が早稲田の鶴巻に住んでいた、とある秋の夜、ふと蛙の会話を聞き取ったという「蛙開眼」の瞬間。
フォークシンガーの故高田渡さんのアルバム『FISHIN` ON SUNDAY』にも収録されている草野心平詩作の「秋の夜の会話」。
「低い屋並や人々が田圃に黒く塗りつぶされ、そのなかから蛙の会話が聞こえてきた。それがだんだん私の内部に入り、私のなかで話し合ってるそのままを記憶して、そいつをどっかの喫茶店で写しとった」――。
当時、鶴巻には田んぼ、四谷三丁目には笹の林があって、蛙がたくさんないていた様ね……。
そうそう、この寺にはほかにも、犯罪の手口の見事さが劇や小説にもなった、“稲妻小僧(稲妻強盗とも)”の墓もあるわ。
自称伊藤博文の隠し子と言い張り続けた、明治時代の日本の強盗常習犯、稲妻小僧……。
その逃げ足の速さなどにあやかり、墓石を削ってお守りとして持っていく輩もいたらしいわね。