【番外編「酉の市」】新宿の総鎮守、地名も風習も浅草から

本誌で異彩を放つ連載「迷所巡礼」のウェブ版。新宿~四谷歴ウン十年のヴィヴィアン佐藤さんが、毎月その嗅覚をたよりに、エリア内の不思議な“迷所”の歴史をたどっていきます。今回は、先月行なわれた花園神社の11月の風物詩「酉の市」の様子をウェブ限定で紹介。今月も行ってみましょう。さあ、“迷所”へご案内。

新宿の総鎮守の花園神社。その昔は、尾張藩の下屋敷で、花が咲き乱れる庭だったみたい。境内には、新宿歌舞伎町ならではのものばかりが溢れているわ。

まずは、たくさんの芸能人の名前も見つかる芸能の神様の「浅間神社」。横には藤圭子さんの歌碑『圭子の夢は夜ひらく』もひっそりと。新宿コマ劇場などがあった歌舞伎町ならではの光景ね。そして、異界へと誘うような赤い鳥居が連なる先には赤い男根が祀ってある「威徳稲荷神社」。縁結びや恋愛に効果があるというわ。内藤新宿時代の飯盛女から今では水商売繁盛祈願に。また、靖国通り側の鳥居には江戸時代の名工村田整珉による立派な鋳造による唐獅子が鎮座もしているわね。

そんな見所満載の花園神社では、毎年銀杏がカナリア色に染まる11月、「酉の市」が行なわれているわ。11月中の「酉の日」に江戸時代から行なわれている風習で、大小さまざまな熊手を売る店がひしめき、手締めの音とともに「家内安全、商売ますます繁盛!」という威勢の良い掛け声が朝まで鳴り響くわ。

二回ある年と三回ある年があるわ。「三の酉」まである年は火災が起きるとも言われているけれど、これは完全な迷信。もともと酉の市というものは日本武尊(やまとたけるのみこと)が東夷成敗の際に立ち寄ったという足立区花畑の鷲神社が発祥。そこでは日本武尊の命日の11月に「酉の市」が行われていたわ。内藤新宿は浅草商人(第十四番で紹介した高松喜六を中心で構成された元〆拾人衆)が開いたので、浅草カルチャーがそのまま新宿に移ってきた名残でもあるのよね。「花畑」と「花園」。どちらの地名も「花」にまつわるのも偶然かしら。

吉原にほど近い本家浅草の鷲神社では「酉の市に行ってくる」と嘘をついて、吉原で遊興してくる男性も多かったようで、火災については、吉原に行ってしまう亭主を引き留めるために女房連中の言ったデマという説も。

歌川広重の『浅草田圃酉(たんぼとり)の町詣(まちもうで)』という『名所江戸百景』の一枚の絵も興味深いわ。吉原で働く女性の控え室があった浅草田圃。遊女の部屋の窓の格子越しにから猫が一匹外を眺めている。田んぼのあぜ道を熊手を担いて歩いていくたくさんの人々が、遠景を望む富士山と秋の夕暮れの空を飛んでいく無数の渡り鳥の群れとともに描かれているわ。手前には、お得意客の酉の市からの土産物であろう熊手をあしらったかんざしが落ちていて、この一枚から季節、場所、時間、状況などがすべて見てとれるわね。格子の内側にいる猫は、吉原で働く女性達、籠の鳥のことなのかしら。歌舞伎町でもクラブのママやキャバクラ嬢に熊手をお土産に持って行く男性も多いはず。江戸時代も平成もまったく変わらないということかしら。

広重の『江戸名所図会』が刊行されたのは安静の大地震の二年後。繁栄の象徴の酉の市を描くことで、復興の願いも込められていたのかもしれないわね。

明治に入る前は神仏習合といって、神社とお寺が同居していたのが日本の宗教観。浅草の鷲神社の奥の長国寺には、花園神社とは違った独特の鷲妙見菩薩の熊手が扱われているとのこと。そちらが本来の熊手の意味に近いというわ。それは、七つの星を頭に頂いた可愛い菩薩様が鷲の背に乗っているというもの。七つの星というのは北斗七星のことで、菩薩様は北極星(小熊座)を表しているわ。北極星は天空において唯一回転しない星で、宇宙の秩序そのもの。日没が最も早くなるこの時期、太陽の力が最も弱くなり世界の秩序が乱れてしまい、そのバランスを回復しようとしているのがこの鷲に乗った菩薩様。そして、世界のバランスが崩れるときに世界に裂け目が出来て、そこから富が世界に溢れ出してくる。それを熊手で一気にかき集めるというのが、この酉の市の熊手の本当の意味。

宗教学者の中沢新一氏によれば、北方の狩猟民たちは北極星のことを、現在でも地上の動物の王である熊と結びつけているとのこと。天空には小熊座の一部である北極星が、地上では動物の王の熊がそれぞれ君臨しているという説。それぞれ熊繋がり、そして熊手というのがなんとも不思議で面白いわね。鷲が神社の熊手から姿を消したのは日露戦争の時にロシアの象徴が鷲だったからだとか。

花園神社の酉の市では、歌舞伎町に関わるあらゆる人種が朝まで屋台で楽しんでいる光景を目にすることができるわ。また、日本でほとんど絶滅しかけている「見世物小屋」も毎年登場。最近では、劇団が新しく「見世物小屋」を開いているようね。

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