【第十番】豆腐地蔵と東福院
本誌で異彩を放つ連載「迷所巡礼」のウェブ版。新宿~四谷歴ウン十年のヴィヴィアン佐藤さんが、毎月その嗅覚をたよりに、エリア内の不思議な“迷所”の歴史をたどっていきます。今回は、タウン誌『JG』66号で紹介した四谷にあるお地蔵さんに纏わるエピソード。今月も行ってみましょう。さあ、“迷所”へご案内。
以前文化放送があった通りを下っていくと、坂の中腹に東福院があるわ。この坂は、迷所巡礼ウェブ版の第一番で紹介した、須賀神社への四谷の土地の守護神である産土神(うぶすなかみ)の門前通りね。東福院は、当時火除け地であった麹町九丁目(現在の平河町辺り)に創立させられ、江戸城の外壕の拡張のため、寛永十一年(1643)に、この坂の途中に移ってきたみたい。開祖は、大澤孫右衛門尉。
ちなみに、この辺りにはたくさんのお寺が今もあるけれど、ほとんどがこの時期に移転させられたものね。新宿通りは、尾根を走っていて、その北側と南側には、谷へ繋がるクレバスがあるけれど、その途中の崖にたくさんの四谷寺院群が今も残っているわ。たいていの墓地は、お寺の奥まったところにあって、各々のお寺の墓地からは、この辺りが複雑な地形ということを垣間見ることができるわよ。
話は戻って、東福院には、1メートルほどの大きさの左手の欠けた通称「豆腐地蔵」があるの。このお地蔵様は、孫右衛門尉の曾孫の孫七郎が死んだ子供のために慶長二年(1649)に造ったらしいわ。そしてこの欠けた左手にはこんなエピソードが残っているの。
昔、この坂の下に表向きは豆腐屋をしていて、影では金貸しや売女を囲う男が居たそう。いつの頃かお地蔵様がその男を懲らしめるために、お坊さんに化けて毎晩豆腐を買いに行くように。でも、お坊さんが支払った代金は、夜にはすべてシキミの葉に変わってしまったという。男はこれは狐狸の仕業だと思い、そのお坊さんが支払う際に手首を包丁で切り落としてしまう。でも、翌朝、男がそのまま血の滴る跡を追いかけて行くと、東福院の門の前までその血の跡が続いていたという。そして、その門の中でお地蔵さんが笑いながら立っていたそう。男は驚いて、いままでの罪を悔やみ、お地蔵様のためにお堂を建設。切り落とされた手首は、さすると腫物が治るといわれ、この辺りで信仰を集めたみたい。お供え物は、豆腐だったそうよ。切り落とされた手首は、戦火で行方不明に。そしていまは、もうそのお堂も豆腐屋もないわ。近くには有名なたいやき屋があるけどね。
余談だけれど、美味しい豆腐は水が良いところで出来るのは常識。
京都のお寺で信仰心を豆腐になぞらえて、「豆腐の詩」を載せて冊子を販売しているところがあるわ。
信仰は豆腐のようだという詩だけれども、豆腐好きには豆腐は信仰よね。