ヴィヴィアン佐藤×成宮アイコ(朗読詩人)対談【本誌連載『ヴィヴィの部屋(Booth)』vol.5拡大版】(前編)

新宿在住のアーティスト・ヴィヴィアン佐藤さんが日頃から利用している歌舞伎町のインターネットカフェ&カプセル「Booth Net cafe & Capsule」。そこに、クリエイターやアーティストを招き、対談する本誌連載『ヴィヴィの部屋』の拡大版。
 
第5回目のゲストは、朗読詩人の成宮アイコさん。機能不全家庭で育ち、不登校やリストカット、社会不安障害を経験し、「生きづらさ」などをテーマに赤い紙を使用した朗読ライブを開催。今年7月に朗読詩集『伝説にならないで』(皓星社)を発刊。帯文をスピッツの草野マサムネ、作家のドリアン助川が綴るなど話題の一作です。
 
■職業とか性別とか年齢とかが関係ない場所
 
ヴィヴィアン佐藤(以下、ヴィ):ねえ見て、釜ヶ崎(スマホの写真を見せながら)。先週トークショーで行ってきたの。
 
成宮アイコ(以下、成宮):ええー! ここよく行きます。今回の詩集『伝説にならないで』にも釜ヶ崎で書いた詩があるんです。詩集は新宿か釜ヶ崎のことが多いです。
 
ヴィ:収録されている「くそくらえのハンドサイン」も釜ヶ崎よね。私も、障害者施設とかドヤ街に興味があって、なぜだろうって考えたときに、盛岡が頭の中に浮かんで。盛岡が面白いのは、スタバにあまり人が入らなくてどんどん撤退していってるんだって。地方だと、「◯◯県で初めてのスターバックス」とかニュースになるけれど、盛岡の人は別にスタバができても並ばないしあまり行かないらしいの。というのも、蔵とか古民家を改造した喫茶店文化がもともとあって、内装とかお料理も凝っていて、ほかになびかないんですって。何を言いたいかというと、フランチャイズって名付けられるものは、分類できたり予定調和ということ。たとえば、渋谷は駅前に行けば行くほどフランチャイズの店が多くて、土地の値段とか営業時間とか客席数とかそういうのを考えていくと、独立系の喫茶店は成り立たなくなってきている。比べてみると、どっちが文化度が高いかっていう……。
 
成宮:いかに豊かだろうかっていうことすでよね。
 
ヴィ:そう、どっちが豊かかっていうと一目瞭然なんですよ。そこで、ドヤ街だったり、私がワークショップでまわる障害者施設とかは簡単にカテゴリー分けができないし、予定調和ではないんですよね。そういうシステマティックにされていないものがないと人間も都市も危険だと思うんですよ。
 
成宮:カテゴリー分けといえば、私、地声がすごく高くていわゆるアニメ声なので、仕事で電話に出ても、相手がタメ口というか子どもに喋ってるみたいな口調をされることも多々あるんですよ。それに、順序立てて考え事をしていても、声に出して話し出した途端に、この声質だけで何も考えていない人扱いをされていると感じることが結構多くて……。それってその人が勝手に私をカテゴライズしているだけじゃないですか。声と頭の中は関係ないのに、相手の中では勝手に第一声だけで「不思議な人」ってカテゴリー分けをされて、そういうときって雰囲気で伝わってくるからその後の関係に繋がらないことが多いんですけど、釜ヶ崎にいると私はただの私として受け入れられる気がするんです。
 
ヴィ:釜ヶ崎は職業とか性別とか年齢とかが関係ない場所ですよね。
 
成宮:はい、そういう全部が何もなく。私が初めて釜ヶ崎に行ったときは、カテゴリー分けというか、そういうことに耐えきれなくて鬱になって、精神科の待合室にもただ座っていることもできない状態のときだったんです。「やばい、このままじゃ人生からロンググッドバイしてしまう」って焦って、そんなときに、なぜか吸い寄せられるように釜ヶ崎に行こうって思ったんです。それで、当時SNSにそれを書いたら、現地に住んでるSNSやってるおっちゃんたちが「ひとりだと危ないから! 案内するから」って、気付けば行く前からたくさんの人と知り合いになって。当日、おっちゃんバンドをやっている人たちが私の好きなバンド「神聖かまってちゃん」の曲を練習して迎えてくれたんです。
 
ヴィ:えー、それは感動する!
 
成宮:そんなズタボロの中、私も感動しちゃって普通に声をあげて泣きながら商店街歩いてたんですけど、誰にも腫れモノ扱いされなかったんですよ。むしろ、「ねーちゃん缶コーヒー買ってくれよ」、みたいに言われて。こんなに露骨に他人に欲を出せるってすごいなって笑っちゃって。恥ずかしげもなく優しくしてしまうところも、買ってくれよという欲とかも、なんてことなく他人に出せるんだなと思って。それって、自分にも他人にも偏見なく「私は私として存在している」って感じがしたんです。
 
ヴィ:みんながむき出しになっている場所って楽ですよね。だって、生まれてきて誰もカテゴリー分けなんてされていないのにね。大人になるほど、どんどんカテゴライズされていっちゃう。
 
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■人はいびつな多面体
 
ヴィ:人って多面じゃないですか。それもいびつな多面体。広い面もあれば小さい面もあって、たまにだけ出てくる面もあって。ある映画とかあるコンサートに行ったときにだけ出る面とか、点滅している面もあるだろうし、でもそっちのほうが本質だったりもするし。
 
成宮:すごくそう思います。この前、Twitterの裏垢で「人は多面体なのだから勝手に決めるな」ってつぶやきました。
 
ヴィ:広い面だけが大事とは限らないものね。
 
成宮:「こっちこそが私の本当かもしれないけれど誰も知らない」って、裏垢の鍵垢でつぶやいて、そのアカウントは消しました(笑)。
 
ヴィ:みんな多面体だけれど、出さない面もあれば、自分ですら気づいてないまだ名付けられない面もあるんですよね。今風にいえば「キャラ」っていうか。
 
成宮:キャラはひとつだけじゃないですよね。スーツを着て仕事をしているからってちゃんとしているわけではないし、だからといって「みんなだめなところはある」ではすまない部分もあるし。「個性を持て」っていう人がいるけれど、個性的であろうとするって、変じゃないですか?
 
ヴィ:そうねえ、もともとそれぞれにあるものだからね。
 
成宮:その前提が最初にあるはずなのに。だから、「個性的であれ論理」をされるのはほんと嫌です。なんで個性っていう大きい階段を最初に作ってまで上る必要があるんだって思う。私も精神障害系のイベントで朗読をしたりトークをしたりすることがあるんですけど、「障害は個性」ってスローガンを掲げられることがあるとツライです。その人本人が自分で言うならいいけれど、他人に言うのは嫌。だって、個性だとしても鬱にならないですむならならないほうが良かったし。
 
ヴィ:個性という長所、メリットを活かすことはできても、鬱になるくらいならないほうがいいわよね。ところで、地元の新潟には何歳までいたの?
 
成宮:5年前くらいです。でも、高校生くらいからずっと行ったり来たりしていて。
 
ヴィ:私は地元仙台なんだけど、嫌でしかたなかったよね。地元のカルチャーからも家庭からも出たくてしょうがなかったの。引っ越したのは二十歳くらいだったかな。
 
成宮:私も本当は早く出て行きたかったんですけど、地元になじめない気持ちが悪い恋愛みたいになっちゃって。「私はこんなに愛してほしいのになぜ私を愛してくれないの?」みたいな。
 
ヴィ:私も何年も霧の中にいるみたいな時期がありましたよ。私、いつも思うんだけど、親って50人くらい子どもを育てていたら「親のプロフェッショナル」かもしれないけれど、せいぜい3人とかじゃないですか。自分の人生じゃない生き物の人格を認めた場合、親だってどうしたらいいかわからないと思うの。親といえど他人だし。親はアマチュアだけど、子どもって子どもとしてプロフェッショナルだから、親って大変よね。この年齢になったからこそ、親に何かしてあげたいって思うけれど、2~3日実家に帰ると喧嘩になっちゃう。
 
成宮:私は、地元のすごく嫌な記憶もあるけれど、物理的に時間が過ぎてしまうと、勝手に「懐かしい」になってしまって、そうなってくると厄介で、懐かしさが嫌な記憶を上回ることすらあるんですよ。そうすると、なぜか嫌な記憶ほどそこにとどまりたいって思ってしまって、自分で自分を前に進めなくしちゃうことがありました。
 
ヴィ:実家の部屋にいると昔のものが出てくるじゃない? 私の場合はスケッチブックが山ほど出てくるわけ、裏も表もびっしり描いて。
 
成宮:私も手帳とかノートとか見るともう……。当時の自分に呼び戻されて。そこに戻りたくないのに懐かしさが上回るときはこわいです。
 
ヴィヴィアン:時間が経って自分が変化して「懐かしい」になったのね。
 
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