レジェンドたちのターニングポイント Presented by ケンズカフェ東京【vol.3】パパイヤ鈴木さん
本誌の連載『レジェンドたちのターニングポイント』の拡大版。“ガトーショコラの最高峰”『特撰ガトーショコラ』を生み出した「ケンズカフェ東京」提供のもと、第一線で活躍するレジェンドたちに、その道を極めるようになったきっかけなどをインタビュー。第3回目は、タレント・振付師のパパイヤ鈴木さんです。
<12月10日更新>
『ジェイジー』(vol.111)発行しました【PDF公開】
――ダンスを始めたきっかけ。
もともと歌手になりたくて、歌うにはリズム感が必要だとミュージシャンでもある親父に言われて、14歳から始めました。
――当時、一番ノリやすかった曲は?
アース・ウィンド・アンド・ファイアーの『ブギー・ワンダーランド』が確か一番最初に聴いた曲で。いままで聴いたことがなかったので衝撃でしたね。格好良かったです。それまでフォークソングが好きだったから。ダンスの先生がソウルっぽい曲、黒人の曲を結構使っていて、そこで初めてジャクソンズも聴いたんじゃないかな。音楽が格好良くなければきっとダンスやってなかったでしょうね。そういう曲で踊るのが楽しかったしハマったんだと思います。
――ダンスは何歳まで習っていましたか?
17歳くらいかな。17か18でやめてディズニーで半年間ダンサーをやってから、19歳頃にダンスをやめて20歳で振付師になりました。
――振付師になった経緯。
歌手になりたかったので19歳でソニーミュージックに入って、いろいろやってみたけどパッとせず。僕はわりと普通だったんですよね、特徴がないというか。それから新人育成の部署で、若いアイドルたちにダンスやタップダンスを教えたり。そのときに、上司に振り付けもしてほしいと言われて、振付師に。自分が前に出るのを諦めてサポートにまわってみたら意外と充実感があって、教え子がテレビに出ているのを見ると嬉しかった。’91年には、姉ちゃんとふたりでいまの会社をつくって。その会社をやりながらソニーにもいて。イベントやったりとかで忙しかったですよ。25~28歳とか、働きまくってました。
――寝る暇もないくらい?
寝なかったですね。一週間で何時間寝ただろうって感じ。演出、作曲、音響、照明、振り付け、荷物運び、着ぐるみショーの着ぐるみ手配、許可どりとか、ありとあらゆることをやって、ほんと馬車馬のように働きました(笑)。
――オールマイティですね(笑)。
いまは絶対できないけど、昔は「なんとかしてやってやろう」という仕事に対する欲があったんです。その数年間は僕を成長させてくれた。昔はマルチメディアって言ってもいまのように映像と音楽とが一体化していなかった。パソコンもマッキントッシュを使ってたけど、いまだったら電卓の方が性能があるんじゃないかっていうくらいのモノで音楽を作って(笑)。コンピューターは知り合いに教えてもらったり、音響はソニーの人に聞いたり、器用貧乏と言われながらありとあらゆる方面のことを何でもやりましたね。オープンテープも切ったり貼ったり、インストラクターもやっていたし、一番自分が活きていました。
――「パパイヤ鈴木」になったのはいつから?
32歳から。うちの会社のショーケースで、不況な時期だからこそ「バブリーナイト」をやろうってなって、案内状にジェームス・ブラウンの格好で、「皆さまのお越しをお待ちしております。鈴木寛」って本名で書いたんです。でも、なんか違うなあってなって、思い付きで付けたのが「パパイヤ鈴木」。
――「パパイヤ」はどこから?
なんの意味もないです。食べたこともないし(笑)、響きだけ。
――その後、「おやじダンサーズ」としてテレビ番組に。
30代の頃、ヒップホップのチームがいっぱいいて、格好良いけどみんな同じような曲だし見た目も一緒でつまんなくて、面白いグループプロデュースしたいとずっと思っていて。1度見たら忘れられない、“踊りを感じさせない”、「なんじゃありゃ」っていうグループを探したけどいなかった。
その頃に、ウルフルズの『それが答えだ!』の振り付けがきっかけで映像監督の竹内鉄郎と親しくなって。竹内監督は変わっている人で、最初、『それが答えだ!』のバックダンサーを太っているやつだけでやりたいんだよって言っていて、それで僕に声がかかった。「現在は100㎏あります」って、社長がプロフィールに書いていたんだよね(笑)。僕みたいな人を100人呼びたかったけど実際には全然集まらなくて。でも、面白いことを考える人いるなって思いましたね。それが、僕のイメージする“踊りを感じさせない”にちょっと繋がった。
しばらくして、プロデュースのことを竹内さんに言ったら大乗り気で。そこから、「ダンスやらなさそうでやるおじさん」を2年間くらい探して、「おやじダンサーズ」を結成しました。そのプロモーションビデオを見た桑田佳祐さんがサザンオールスターズのCMに起用してくれて。そこから話題のCMということで『トゥナイト』に出させてもらって、その後のテレビ番組にも呼んでいただくようになりましたね。
――パパイヤさんといえば、“大盛りの美学”を掲げる『debuya』『元祖!でぶや』(テレビ東京)の印象も強いです。
プロデューサーがいいい加減な人で、番組開始前、振付師として打ち合わせに行ったのに、「キミ、太っているから出ない?」って言われて(笑)。僕のターニングポイントには、このプロデューサーもそうですが、竹内監督や桑田佳祐さんといった、僕を面白がってくれる上の立場のキーマンの存在が大きい。力があって面白いものを面白いって言える人、権限があって変わっている人が僕を面白がってくれたのが一番大きな出来事で、ラッキーでしたね。
――最近のキーマンはいますか?
いろいろな人に支えられていますが、例えば、僕のヘアメイクの人も変わっている人で、そのアシスタントがいまの僕の嫁さんで、そいつもキーマン。それで、その変わったヘアメイクを連れてきたのがうちの親父っていう変な連鎖があって。親父が一番のキーマンですね(笑)。親父はちゃんとおれを導いてくれたところがあって。ダンスをするきっかけもそうだし、変なスタイリスト連れてきたりとか。昔から音楽をやっていた人なので感覚が冴えていた。なんかちょっと変わったものが好きというか、こういうものがお前に合うんじゃないかっていうのをよく言っていた。ハズレも多いんですよ(笑)。「なんだこれ?」って。でもハマるとすごいパワーを発揮する。
――ハズレがあっても全部受け止めるのですね。
そうですね、1回は見てみないと違うなってならない。僕はわりと流されるタイプなので違うなって思うこともやってみるんですよ。それでダメだったら、やったけどダメだったって言える。文句言うために1回やってみる。
――12月18日まで、ケンズカフェ東京主催で『全日本ガールズダンスコンテスト2020』を開催しています。TikTokなどで30秒のダンス動画を投稿してもらおうという企画なのですが、そういった数秒のダンス動画についてはどう思いますか?
時間など制限があることで燃えるし、その制限のなかで作るからこそハネることもあると思います。変わった人が出てくるといいですね。昔のハガキ職人と一緒で変わり方がまたちょっと違うというか、こいつモノ作りできるなとかそういう人が出てくると嬉しいですよね。ダンスが上手い下手ではなくて。冴えている人とかそういう奇抜な人がいると面白いと思います。
■パパイヤ鈴木
1966年東京都生まれ。16歳でダンサー活動を始め、東京ディズニーランドなどで活躍。17歳でレコードデビュー。’98年「パパイヤ鈴木とおやじダンサーズ」結成。AKB48『恋するフォーチュンクッキー』など振り付け作品多数。
公式ブログ
■Information
●NHK『チコちゃんに叱られる!』「チコちゃんに叱られたい」振り付け。
●スズキ『ソリオ』新CM振り付け。
ケンズカフェ東京
https://kenscafe.jp/
(撮影:蔦野裕)