【第十三番】四谷怪談のヒットの源?
本誌で異彩を放つ連載「迷所巡礼」のウェブ版。新宿~四谷歴ウン十年のヴィヴィアン佐藤さんが、毎月その嗅覚をたよりに、エリア内の不思議な“迷所”の歴史をたどっていきます。今回は、タウン誌『JG』60号で紹介した「策の池」です。荒木町の今につながる歴史にも辿ります。今月も行ってみましょう。さあ、“迷所”へご案内。
四谷三丁目、新宿通りのみずほ銀行の横の車力門通りを入っていき、突き当たりにあるお稲荷さんを右に、ジグザククランク坂を下っていくと、その谷の底に小さな池があるでしょう? そこはもともと高須藩の主・松平摂津の守の上屋敷があったところ。当時の池はいまと違って、かなり大きくて、高さ4mもの滝もあったらしいわ。もともとは、家康が鷹狩りの際に策(むち)の汚れを洗って落としたことから「策(むち)の井」と呼ばれる井戸があったみたい。
この辺りは、皆川典久氏が設立した東京スリバチ学会によると、都内でも四周を段丘で囲まれた特異で代表的な「一級のスリバチ地形」と評価が高いそう。この荒木町のスリバチの底面積とヨーロッパの名立たる広場との比較が、以前TV番組『タモリ倶楽部』でもされたわ。ローマのスペイン広場、イタリアのシエナのカンポ広場、ベニスのサンマルコ広場とほぼ同面積とのことね。それゆえここ荒木町のスリバチは人間の心理的に心地良い大きさといえるのかもしれないわ。
明治期に入ると、上屋敷が政府に上納され、それに変わり沢山の茶屋や見せ物小屋、芝居小屋などが池の周囲に次々と出来たらしいわ。市ヶ谷の陸軍士官学校も近くにあり、若い将校がたくさん遊興し、この辺りは花街として気品の高い津の守坂芸妓と呼ばれていたみたい。明治末には荒木町の小よしという芸妓が、ある陸軍中尉を心中する事件があって、津の守滝のあたりには小よしの幽霊が出たという噂も。その辺りの芝居小屋で四谷怪談を演じたところなんと大ヒット! でも、公演中火災になり芝居小屋は焼失。当時は、小よしや小岩の祟りといわれたわ。
また、大相撲の横綱審議委員長を務めていた作家の舟橋聖一の小説『女めくら双紙』の舞台になったのもここ荒木町。耳と指先だけで外界と繋がっている盲目の女按摩史のモノローグによる男女の情や浮き世の物語よ。
戦後にはすぐ近くの曙橋通りにフジテレビがあったために、この辺りはたくさんの業界人で溢れかえり、隠れ家的なお店が乱立したわ。映画『バブルでGO!! タイムマシンはドラム式』(2007年)でもその時代のこの辺りのことが描かれているわね。
今は、この辺りの池の周辺はひっそりとしていて、津の守弁財天の祠だけが時代を見つめていたように建っているわ。